2026.08.15
< 蜩(ひぐらし) >
相田みつを
七月十日の夕方のこと
突然蜩の声を聞きました
今年初めての蜩の声です
庭の木蓮の葉の
深い繁みの中にいるようです
蜩の声を聞くとわたしは
戦争に行って若くして死んだ
二人のあんちゃんのことを思い出します
幼ない時に「あんちゃん、あんちゃん」
と 呼んでいたから
わたしの心の中にいる兄は
いまでもあんちゃんです
夏の日の夕方になると
二人のあんちゃんといっしょに
よく近所の寺の竹薮に
蜩を取りに行きました
あれから長い年月がたって
父が死に母が死にました
母は死ぬまで二人のあんちゃんの名を
呼びつづけていました
父はあんちゃんのことには
ひとこともふれず
黙って死んでゆきました
長男 次男―二人のわが子に
先立たれた悲しみは
男親の父には
語りようがなかったのではないか
何も語らなかった父が
一番淋しかったのではないか…
蜩の声を聞くと
何も語らなかった
父の心の淋しさが
身にしみてわかるような
気がします
今回ご紹介するのは、
「蜩(ひぐらし)」。
夏の夕暮れ、どこからともなく聞こえてくる蜩の声。
その響きには、不思議な力があるような気がします。
遠い昔の景色や懐かしい人の面影を、ふと心によみがえらせる力です。
詩「蜩」では、今年初めて耳にした蜩の声をきっかけに、戦争で若くして亡くなった二人の兄への記憶が呼び起こされます。
幼い頃、一緒に寺の竹藪へ蜩を取りに行った夏の日。
兄たちは、年月が流れてもみつをの心の中では今なお「あんちゃん」のまま生き続けています。
けれども、この詩が私たちの胸を強く打つのは、兄たちへの追憶だけではありません。
みつをは、二人の息子を失った父母の悲しみにも思いを寄せています。
母は亡くなるまで息子たちの名を呼び続けました。
父は何も語らず、そのまま人生を終えました。
戦争は命を奪うだけではありません。
残された人々の心の中に、言葉にならない悲しみを残します。
声をあげて涙を流すことのできた母と違い、父は悲しみを胸の奥深くにしまい込み、生涯語ることができなかったのかもしれません。
「何も語らなかった父が一番淋しかったのではないか」
この一節には、歳月を経て初めて理解できた父の孤独への深い共感が込められています。
蜩は昔から夏の終わりを告げる虫として知られています。
そのどこか物悲しい声は、過ぎ去った時間や失われた存在を思わせます。
だからこそ相田みつをは、蜩の声の中に兄たちを思い出し、そして父の沈黙の悲しみを感じ取ったのでしょう。
戦後81年の今年2026年、戦争を直接知る人は少なくなりました。
それでも、失われた命を悼む心や、残された人々の悲しみは決して過去のものではありません。
今年もまた聞こえてくる蜩の声。
その声に耳を傾けるとき、私たちもまた、大切な人への思いや平和の尊さについて静かに見つめる時間となればと思います。
相田みつを美術館 作品広報室
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次回は、2026年9月1日頃にまた違う作品のコラムとリール動画の公開を予定しております。